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宗教の時代到来か?

「あなたは神を信じますか?」

この質問を受けて日本人のうち、どのくらいの人が「はい」と答えるだろうか?

「はい」「いいえ」「どちらともいえない」の三択を選択肢とした場合、おそらくは「どちらとも言えない」が最も多くなり、「はい」が最も少なくなるのではないかと思う。

また、ちょっと質問を変えて

「あなたは人智を超えた存在がこの世に存在すると思いますか?」

こう問いかけてみるとどうだろう?

先ほどと同じ選択肢だった場合、今度は「はい」が最も多くなり「いいえ」が最も少なくなるのではないかと思われる。

ところが

「あなたは特定に宗教を強く信奉していますか」

と聞くと「いいえ」が最も多く、「はい」が最も少なくなるだろう。

この日本人のなんとなく超自然的なものは存在するだろうけれども、特定の何か具体的な神様や教祖様がいて、我々を導いてくれたり、教えを与えてくれるとは思っていないぼんやりとした宗教観を持っているのが日本人の多数だろう。

そんな日本人は、これから宗教とどのように関わっていくべきなのか、その1つのヒントになりそうなのが「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」を呼んだ感想だ。

本の構成としては、まず池上彰が考えている日本人の宗教観についての序文があり、そのあとは様々な宗教家や宗教の研究家に対するインタビューで構成されている。

インタビューの中身は仏教神道キリスト教イスラム教などのそれぞれの宗教家らに対してその宗教の日本におけるあり方と日本人との関りなどを質問する構成となっている。

もっとも池上氏が博識なので、多少のことは分かっている前提で話が進んでいくので、日本人として社会常識レベルの知識は必要だが、難しい部分についてはテレビ番組よろしく池上氏が言い直しをしてくれたり、かみ砕いた内容になるように質問をしてくれるので、とかく難しくなりがちな宗教の話としては分かりやすく読むことができるだろう。

もちろん、新書で複数の宗教のことを取り上げるので、知識として深いところにまでというところにはいかないものの知っているつもりの仏教神道のことであっても、改めて聞いてみると知らないことがたくさんあるのだと感じたし、それ以上にイスラム教については、歴史の教科書で習った知識に加えて、テレビのニュースなどで見る断片的な知識だけしかない自分にとっては新しい知識が多く得られた。

例えば女性が肌を露出してはいけないとされているが、それについての直接の根拠となるコーランの文書はなく「女性の体のうち外に出ている部分は仕方がないが、それ以外の美しいところは隠せ」と書かれているが、それをどのように解釈するかによって違ってくる、ということだった。

こんな曖昧な書き方だと、その解釈によって振る舞いが大きく違ってくるためトルコのような世俗的な国家もあれば、サウジアラビアなど厳格なイスラム教国もあり、ということになるのだと言われて大いに納得した。

そのような様々な宗教のことを知り知識を得るということは、宗教的対立が国際的な問題の大きな要因の1つになっている現代においては、それを理解する一助になるだろう。

 

そんな世界を知るということとは別に池上氏は団塊の世代が宗教というものを真剣に考える年齢になってきたことについて何度か触れていた。

この本が書かれたのは2011年であるから団塊の世代は60代前半であった。

仕事をリタイアして自分の親の世代を見送り、老後の生活を送りながらも、周りでも病気であの人が亡くなったという話もちらほら聞こえるようになり、次は自分の番として現実的に考えるようになってきた、と。

これは彼が団塊の世代と呼ばれる年代よりは1つ下になるものの、ほぼ同年代として感じていた実感なのだろうと思う。

人に取って死というのは、現代日本ではあまり身近な問題ではないかもしれないけれども、それを身近に感じるようになってきたときに宗教というものを考えるのだと。

確かに、多くの宗教は死語に天国に行く、極楽浄土に行く、そのために現世で善い行いをしなさい、というような死を出発点としているものが少なくはない。

そういう意味では、死というものを考え始めると自然と宗教的なものに行きつくのかもしれない。

自分の死に際して、あるいは身近な人の死に対して、忌むだけではなくきちんと向かい合うためにも宗教というものについて理解しておくことも必要なのかな、ということも考えさせられた。

池上彰の宗教がわかれば世界が見える (文春新書)

池上彰の宗教がわかれば世界が見える (文春新書)