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東京までの道程

今夏、世界レベルのスポーツ大会が相次いで行われてニュースを賑わしている。

自分の把握している程度であるが、世界規模の大会やその予選があり大きな話題となっている競技を列挙すれば「水泳」「陸上」「バレーボール」「バスケットボール」「柔道」「ラグビー」「テニス」「フェンシング」「野球(U-18)」「シンクロ」「レスリング」「サッカー」などなど。

もちろん、リオ五輪の前年ということもあり多くの大会が行われるというのは当然ではある。

団体競技はオリンピックの参加資格を得るべくして行われる大会があるし、個人競技であってもオリンピック前年ということで大きな注目を集める大会が開催される。

個人種目の場合、競技団体に寄ってはその結果によりオリンピックの出場権を与えるというものもある。

もちろん、オリンピック出場を目指す団体・競技者は、それらの大会に出場して高記録を目指すわけであり、必然的に注目度は高くなる。

そして、それらの結果は来年のリオ五輪の結果を占う上でも参考となるだろう。

しかし、日本人としては来年のリオ五輪はもちろん気になるところではあるが、それと同等かそれ以上に東京五輪のことについても気にせざるを得ない。

このところニュースでは国立競技場の建設問題や東京五輪のロゴ問題などの競技の本質とは少し離れた部分での話題が多く残念なところではあったが、これだけのニュースになるということはやはり注目度は大きいのだなと改めて実感させられる。

そして東京五輪は国民の関心事であるとともに日本のスポーツ振興において大きな分岐点になり得るイベントであるし、究極的な目標として日本中のアスリートや競技団体が目標とするところであるだろう。

そんなオリンピックのことを自分は5年も先、というかなり未来ということでここ最近まで過ごしてきた。

けれども競技の実績を残すということを考えると意外に遠くない未来なんだな、ということを今年の夏の各種世界大会で実感させられた。

象徴的なのは世界陸上で行われた男子100m決勝だろう。

ウサイン・ボルトジャスティン・ガトリンの対決が話題となった北京の世界陸上であったが結果としては、この両者が接戦で、わずかに100分の1秒差でボルトが金メダルを獲得した。

この2人の実績を見るとガトリンは今から11年前のアテネ五輪の男子100mの金メダリストであり、ボルトは7年前の2008年の北京五輪の男子100m金メダリストである。

つまり全ての競技ではないにしても、世界のトップクラスで戦えるレベルの選手というのは、そう何人もいるわけではなく、そしてその一部の選手が長期間にわたってしのぎを削る世界であるということだ。

そのように考えると東京五輪まで後5年という時期に差し掛かっている現在、日本人選手が世界に伍して戦えている種目はどれほどあるのか、ということを考えると少し暗い気持ちにならざるをえない。

もちろん、世界陸上でいえば桐生祥秀であり、世界水泳でいえば萩野公介が不在であったということを考えれば、結果を鵜呑みにしなくてもいいと考えることもできる。

だが、反面1人の選手が出場しないだけでその種目の実績が大幅に交代するのであれば、日本には本当にその種目における実力が備わっていないということではないだろうか?

どうしても普通に生活をしていれば5年という年数は決して近い未来ではないけれども、スポーツの強化ということや人材の育成ということを考えれば5年という時間はとても短いといわざるを得ない。

近年、躍進しているフィギュアスケートやバトミントンなどの競技はジュニア時代の選手を育成する地道な努力を10年以上に渡り行ってきたとことが、ようやく結果に結びついてきているとも言われている。

本当にある競技の裾野を広げて、底上げをしようと思えば5年という年月は中途半端であり、揺るぎない人気と実力を身に付けるというところにまでは至らないだろう。

しかし、そんな育成・強化ということを考えれば決して長くはないであろう時間の中でどのように東京に結びつけていくのか、あるいは東京の先に日本にスポーツ文化を根付かせて世界で輝く人材を育成していくのか、中長期の視点を持って捉えることができる最後に近いタイミングではないだろうか?

来年のリオ五輪が終われば、次は東京ということで様々な競技団体に対して、どうしても結果が求められていく段階に入っていく可能性が高い。

そうなる前に、競技としての底辺を厚くして、実力をつけて、未来につなげていくための構想力や組織力を整えていくことができるのか。

そのためには、意外にここから1、2年ほどが正念場なのかもしれない。

そんなことを考えさせられた8月から9月のスポーツシーンであった。