アフターコロナ、ウィズコロナその2(人の住むところ)

コロナウイルス感染症の影響は多方面にわたっていて、しかもそれが複雑に絡み合っているため正確に予想をすることは難しいのですが、いくつかの部分で確実に予想ができるであろうことがあります。

例えば、コロナウイルス感染前と比較して自動車の購入意欲が高まったという人が18%いたのに対して、自動車の購入を見送ったという人(延期、中止)は11%という結果だったという記事を見ました。(https://www.delphys.co.jp/activities/detail.php?id=37

これはコロナウイルスにより公共交通機関の異動に感染リスクを感じている人が多いということや外食が減り買い物が増えていることなどの影響があると思います。

同様に自転車やバイクの購入意欲、利用意向が高まっている可能性はあります。

これらの人が全てコロナウイルス後もマイカーなどに移行するわけではないと思いますが、自動車の利便性を感じた人は公共交通機関には戻らない可能性があります。

このような変化はネットを利用する様々なサービスや通信販売、キャッシュレス決済、テレワークなど様々なものがあると思います。

それらの多くで都心離れと人の移動が減少することを予感させます。

そのことですぐに思い付くのはテレワークで、そのことはいろんな所で言われています。

土地の価格にも影響したりするとも言われています。

しかし、個人的には大都市圏が、地方よりも感染拡大しやすいということが影響してくるのではないかと思います。

これは国内の感染状況を見ても人口当たりの感染者数は、北陸を除けば、北海道と東京及び大阪都市圏が上位に来ている。

どうしても大都市は人同士の距離が近くなるため感染リスクは高くなる。

感染拡大により都市部では店舗が営業できない、営業しても来客が見込めない、学校に行けない、娯楽施設に行けない、友人などに会えない、冠婚葬祭もできないなどとなる、その一方で隣接する県は、ある程度の活動が出来ている状況にあるということは起こるでしょう。

4月からの緊急事態宣言では最初の1週間と最後の1週間、又は2週間程で済んだわけですが、これは緊急事態宣言後に県をまたぐ移動が相次ぎ、やむを得ず緊急事態宣言を全国に対して行ったというためです。

しかし、そのような県間移動が緊急事態宣言下では問題があるというコンセンサスができてきている現状を考えると、これ以降に緊急事態宣言が出される場合には長引く県とそうでない場所の差は大きくなってくると思われます。

現在、緊急事態宣言解除の目安として示されている1週間に10万人当たりの0.5人という基準で考えた場合、関東近郊では栃木県、山梨県静岡県は4月下旬には解除できる状態にあったと考えられます。

関西でも滋賀県奈良県和歌山県は5月上旬には解除可能だった可能性があります。

他方で一都三県は5月25日に解除になるか、というところですが果たして緊急事態による営業自粛や休校期間が一月も違う、しかもそれが何度も繰り返されていくとどうなっていくでしょうか?

県境が遠い近い地域、例えば電車や車で30分離れた場所では感染予防に気を付けながらも日常を送っているのに、緊急事態宣言のため学校にも行けず、遊びにも行けず、仕事もできず、となれば転居する人も出てくるかもしれません。

4月にハーバード大学が発表したコロナ収束までの道のりに関する論文では、複数のモデルがありましたが、集団免疫獲得がゴールとした場合、少なくとも5回はロックダウンをしないといけないとされていました。

仮に日本における緊急事態宣言が今後、2年間で大都市圏では5回で1回あたり1ヶ月半、地方では3回で1回あたり1ヶ月とすると累積の自粛期間は4ヶ月半違うことになります。

社会活動の制限が、これだけ異なるというのは相当な影響があるだろうと思います。

もちろん、持ち家やマンションの居住者が転居は簡単ではないですし、店舗の移転ということはさらに難しいでしょう。

しかし、異動が簡単な人であれば動きが出てきてもおかしくありませんし、就職や進学を考えたときに大都市を避けようということも考えられます。

ワクチン開発は早くても1年はかかるとも言われている上、治療薬も現時点では劇的な効果が見込めるものは見当たらない状況では、コロナ禍は長期化しそうであり、長期化すればするほど都市から人が離れていくのでは、と思っています。

アフターコロナ、ウィズコロナその1

新型コロナウイルスが日本中に広がり、感染の抑制はいまだ見通せませんが、ウィズコロナやアフターコロナという単語が世間では飛び交っている。

どの段階で感染が収束するかは分かりませんが、従来の世界とこれからの世界が違うのではないかということが言われています。

しかし、どうなるかはコロナウイルス感染症がどのくらい長期的に、かつどのくらい深刻なダメージを社会に与えるのかということにより変わってくるでしょう。

例えば現在の緊急事態宣言の期限である5月末に事態が収束して第二派などもないとなれば、社会に与える影響は限定的でしょう(そんなことは残念ながら、なさそうですが)

一方で、事態が最終的に鎮静化するまでに3年、4年となれば、その影響はあらゆる分野で決定的なものとなるでしょう。

もちろん、ウイルスに関しては未知の部分も多い上に、治療薬やワクチンがどうなるかは分からないために、いつ終息するかということは専門家でさえ、予測が難しいようです。

ですから、アフターコロナを論じる場合やそういう記事を読むときは、前提となっているコロナウイルスが終息するまでの期間(あるいはインフルエンザのように共存するか)やそれまでにどのくらいの感染者が出るかについて、何らかの前提をおいてるはずなので、書き手の方はそういうことを書いた記事にして欲しいですし、読み手はそういうリテラシーが必要ではないでしょうか?

特に、一年を越えてくるとあらゆるイベント(就職、入試、転居等々)が一周することになるので、影響の大きさは加速度的に大きくなっていくでしょう。

ただ、一方で中世のペストの流行を引き合いにして、アフターコロナを論じている人もいますが、当時1億人いたヨーロッパの人口が7000万人になったという感染症コロナウイルスを比較するのは、さすがに乱暴ではないかと思いますが、そのあたりもしっかり分かったうえで読まないといけないのかな、と。

というわけで、ブログでちょっとその話を続けてみようと思います。

夏の終わりに温暖化について思う

地球規模の環境問題が日本で盛り上がったのは、いつのころからだっただろう?

高度経済成長期に大気や海洋汚染が、社会問題として取り上げられたが、これらは地域がある程度限定された話であったのだと理解している。

筆者が記憶にとどめる範囲では日本が本格的に世界的な環境問題と向き合ったのは、オゾン層を守るためフロン全廃が可決されたモントリオール議定書だった。

その後、1997年の京都議定書や2011年の東日本大震災などの時々にきっかけを得て環境意識は高まり、様々な制度や取り組みがなされ、一定の枠組みができたり、関心の低下とともに落ち着いていくということを繰り返している。

そんな制度や環境の変化への対応はしながら徐々に環境対応型の社会になってきているが、、近年異常気象が続いているから二酸化炭素を削減するために公共交通機関を利用しようとか、節電をしようとか、肉食はやめようということにはなかなかなっていない。

具体的に目に見える問題として自分の行動と、それが引き起こす結果とが温暖化の場合は直接的に結び付きにくく、実感が持てないということからだろう。

しかし、徐々に温暖化の影響が深刻さを増しているように思える。

 

今夏の暑さは日本海側では厳しく、また9月は高温の日が西日本で続いたものの全体としては去年ほどではなかった印象がある。

しかし、ヨーロッパではフランスで45.9℃を記録するなど記録的な猛暑となった。

NOAA(米海洋大気局)の観測でも世界の平均気温は今年の6月、7月は月別の史上最高を記録しているという。

また、日本では1993年以前には多い年でも100人程度だった熱中症の死者数が1994年以降増加、2010年に1731人と過去最高を記録。

以降、様々な熱中症対策が取られているものの大きく減少させることはできず、毎年500人以上の方が亡くなっており、昨年は概算であるが6月から9月だけで1531人が亡くなっており、過去最悪にせまる数字である。(厚生労働省の確定がまだ出ていませんので過去最悪だった可能性もある)

 

このように将来危ないということではなく、具体的に影響が出始めているというのが現在の温暖化の状況だ。

これらが潜在的には温暖化している、このまま行くと良くないことが起きるのではないかという意識は人々の中には根付いているし、それが具体的に人々の意識を変えるような出来事が発生した場合、例えば海洋プラスチックの問題ではカメやクジラが苦しんでいるということがあるが、そういう分かりやすいストーリーが加わったときに大きな動きが出てくるように思われる。

具体的に何か、と言われると難しいが、今はインターネットで世界中がつながっている時代であるのでホッキョクグマやアザラシの苦境であったり、というものがYouTubeで話題になったりというのがきっかけになるかもしれない。

 

 

海洋プラスチックの汚染問題は飲料用ストローにとどまらず、様々な場所でプラスチックを削減しようという動きが出ており、大きな動きになっている。

地球温暖化もひとたび、大きく動き始めると「飛行機やマイカーの使用を控えよう」「肉食は控えよう」「無駄な電気を使うのはやめよう」と言った人々に行動の変化を求める圧力が加わってくる可能性は高いだろう。

ただ、その時に「こうしたほうが良い」というのが全て正しいかと言えば、そうはならないこともある。

あるいは、その努力はCO2の排出を抑制するかもしれないが、もっと違う方法で楽に削減できることがあるのに、となる場合もあるかもしれない。

そうならないよう正しい情報が広まるように願っている。

最後に環境省が作成した2100年の天気予報。

リンクを貼っておくので興味のある人は見て頂けたらと思います。

 

https://ondankataisaku.env.go.jp/coolchoice/2100weather/

数学が人生に必要か?

久しぶりのブログでふと考えたことをつらつらと。

仕事で時々、使っているのだが三角関数に関係する話があった。

話をしていた相手は、学生時代について三角関数なんて役立つ時があるのか、なんてことを言っていた人もいますけどね、なんてことを言っていたが、正しくその通りだろう。

数学が役に立たないという人は、数学をどうやって役立てるのかを知らないということだと思う。

今やコンピューターを必要としない業務は殆どないと思うが、様々な場面で数値計算が必要なわけで、特に統計に関する標準偏差や回帰曲線などはこれからはどんどんと重要になってくる。

微分積分やベクトルなども使い方次第では、色んな場面で役に立つ。

特に、微分は売り上げや来客数などの変化点をとらえるという意味では、考え方として使えるだろう。

もちろん、微分方程式が解けるまでの知識が必要かと言えば、そこまでではないことが多いだろうが、数学的な考え方、理科的な物の見方を身に付けておくことは、損になることはないだろうし、そのためには基礎的なことを学ぶことが肝心だ。

ただ、そういうことを理解していないと教師も親も子供にたいして、学習の意義を説明できないが、そこまできちんと説明できる教師がどのくらいいるのかは、少々不安ではある。

単なる思い付きなので、あまり文章のまとまりがないが、読んで頂いた方は、ありがとうございます。

 

辞書と電子辞書

大学生の過半数が読書習慣がないという記事を目にした。

調査は全国大学生協連合会、いわゆる大学生協ということでそれなりに調査結果は信ぴょう性はあるだろう。

過半数が読書の習慣がないということは活字離れが進んでいる、ということになりそうな気がするのだけれども、この場合の読書というのは、紙の本を対象としているのか電子書籍も含んでいるのかはちょっと気になったりはする。

また、書籍とは言えないけれどもネットで記事を読んだりする人はかなり多いと思うのだけれども、そういう人たちはどういう風に評価されているのかも気になる。

ちなみに、新聞やネットでニュースを見る人の割合は同じ調査で80.3%であるので、実際に文字での形で情報に触れている人は決して少なくはないので、調査の一部だけを切り取って大騒ぎするのは果たして正しいのかな、と思う。

と、そんなことを思いながら身近なところに戻ってくると、紙の辞書と電子辞書でふと思うことが最近あった。

活字離れの話とも関連するのだが、最近は色んな調べものをする場合にスマートフォンですることが多くて、辞書を引くことが減っている、のではないかと思う。

このことを嘆くような声もあって、それは辞書を引くと引いた単語だけではなくて、その周りに書いてある単語も目に入ってくるので、実際にはその時に必要だった知識だけではなくて、色んな知識が身につくので、辞書は必要だし、それを引くことは必要だという話だ。

まあ、辞書を引くことが出来るという技術は今でも必要だと思うし、ネットや電子的な情報ではなく紙ベースの方が情報が整理されている場合には、これを利用することは必要だろう。

実際に、自分自身も仕事で色んな検索をする場合に、データベースで検索する場合もあれば紙で検索する場合もあり、それは情報の所在を自分がどれだけ正確に認識しているかやデータベースと紙媒体の性質の違いなどで、使い分けているのでどちらが優れているかはケースバイケースだと思う。

それは辞書も同じで電子辞書で単語を調べると、電子辞書の種類にもよるが、複数の辞書が収録されているので、それぞれの辞書に意味が一覧で確認することが出来る。

それは例えば「東」という言葉を調べた場合に手元にある辞書を引くだけであれば「北を向いたときに右の方向」なんていう表現が出てくるかもしれないし、それ以外の知識は得られない。

しかし、複数の辞書があれば「太陽が昇ってくる方角」「西の反対」「地球が回転する方向」とか色々な表現が出てくるだろう。

そういう多様な表現を知ろうと思うと電子辞書で検索して、検索結果を横断的に確認するほうがいいだろう。

だから電子辞書が絶対的にいいというつもりはないし、紙の辞書に触れる機会が少ないと紙でいろいろと調べものをするという場合に、後々苦労することにもなるのである程度は辞書に触れていることはあった方がいいとは思うが、辞書にしろ本にしろ紙媒体に触れることが良い、ということばかりではないんじゃないかな、ということは思ったりする。

 もちろん、紙と電子の組み合わせということも必要になってくるだろう。

 

 

人生107年時代?

去年、海外でヒットした書籍「LIFE SHIFT」を呼んだ。

 

この本を簡単に説明すれば「人生100年時代を迎えているが、それだけ長い人生を生きるということは今までの常識とは違う新しい生き方をしなければならない」ということだ。

この本は、予想の正確性がどのくらいかは分からないが2007年に生まれた子供が何歳まで生きるのか、という予想をもとに話が進んでいく。

先進国は、どの国であっても約半数の人が100歳以上まで生きるという予測になっており、日本については半数の人が107歳まで生きると予想されていた。

107歳まで生きるというのは言葉にすれば簡単であるけれども、実際に想像してみるのはなかなか難しい。

2017年の107年前と言えば1910年のことだ。

日本は明治末期で日清戦争日露戦争を経て徳川政権下で結ばれた不平等条約が徐々に解消されて、国際社会の中でも日本という国が存在感を発揮し始めた時代。

社会的には第一次産業革命の次、第二次産業革命を過ぎて、どんどんと工業化を迎えている時代。

とはいえ大規模な工場などは建設されているものの家庭にまでは産業化の恩恵はいまだに少なく電化製品などはほとんどない時代だった。

そのため当時、必要されていた能力は産業の中心であった農業や繊維などの軽工業のほか、富国強兵政策などから軍人も必要とされていた。

一方で、サービス産業は小売りや金融などの一部を除いては非常に小規模な時代であった。

そこからの現代までの時代の変化は言うまでもない。

その間、社会に適応していくためには大正期の自由な空気、戦前・戦争の軍国主義、戦後の民主化、高度経済成長などなど、様々な変化に対応していかなければならず、決して平たんな道のりではなかったはずだ。

だが、時代の変化のスピードは過去の100年分の変化が、これから数十年で迎えるとも言われている。

AIの発達があらゆる産業に影響を及ぼすことが予想されており、IOT機器へのAIの搭載や自動運転などの導入、再生医療の進展、国際化など様々な変化が予想されているが、それはせいぜい今後20年から30年程度までであって50年先、100年先となると想像もできない部分もある。

しかし、そんな想像すら難しい未来を今の子供たちは生きていかなくてはならない。

そんなことは、ちょっと考えてみればわかることではあるのだけれど、まとまって体系的に理解を、と考えると意外に難しい。

この本は、そんなヒントを与えてくれる一冊であり、年齢が若ければ若いほど必読な一冊なのかと思う。

 

 

 

高齢者の交通事故について

10月28日神奈川県で高齢者の運転する車の起こした事故により小学生が死亡した。

その二日前の10月26日には愛知県でポケモンGOをプレイ中のトラックが小学生を跳ねて死亡させるという事故があったこともあり、社会的反響が大きくなっている。

この2つの事故は通学、もしくは下校中の小学生が、歩道上、あるいは横断歩道上という本来歩行者が保護されて当然の場所を歩いていたにも関わらず事故の被害者になったという点で類似性がある一方で、原因ということで言えば認知症の疑いのある高齢者と携帯電話でのゲームということで違うもあり、微妙に絡みながら、一方で別々の話題としての側面もあり、報道などではどちらかと言えばそれぞれの問題として取り上げられているような印象がある。

このうち神奈川の事故以降も相次いでいる高齢者の事故については75歳以上は運転をやめるべきとか、免許更新を1年ごとにすべきであるとか、高齢者の運転を規制する方向性での議論が多くなされているような印象がある。

平成27年中は4117人の交通事故死者のうち2247人と半数以上が65歳以上だったということについてはあまり触れられていない。

ちなみに、同じく平成27年中の交通死亡事故のうち65歳以上の高齢者が第一原因となっている事故は992件と被害者に比べると圧倒的に少ない。

これは高齢者は交通事故に遭遇した場合に、報道されているように第一原因になることが年間に1000件くらいあるかもしれないが、それ以上に第一原因ではない自由により交通事故の被害者になる人が多いということである。

そのことを忘れて安易に高齢者の運転をやめるべきであるとか、自動車の運転から遠ざけるような方策は、果たして正しいだろうか?

例えば、高齢者に対しての運転条件を厳しくすることによって、高齢者が運転をやめて徒歩や自転車により移動するようになった場合に、その人たちが負うリスクというのは高まったりはしないだろうか?

人間はどうしても高齢になると足腰は衰えてくるし、体も動くが遅く、骨はもろく、様々なダメージに対して弱くなりがちである。

そのため他の年代と比較して、道路横断中に自動車が接近していることに気が付いたとしても逃げることができず、あるいは事故に遭遇した時にも受け身をとることもできずに、結果ケガが重傷になったり、死亡に至ることがある。

自動車の運転をやめて徒歩や自転車などの移動を促進するということは、高齢者に対してそういうリスクを背負わせることに繋がるものであることを認識すべきであるし、本来であれば運転が十分に可能であるのに、運転をやめさせるということは結果的に事故発生のリスクを高める可能性があるということには気を配るべきではないかと考える。

では、高齢者事故を防ぐためにはどうすれば良いのか、ということだ。

これには特効薬はないと思われるが、取り組んでいく方向性はいくつかあるだろう。

1つは来年から施行される改正道路交通法では認知機能検査が強化されるが、そのような運転をしてもよいのか、やめるべきなのかというスクリーニング機能を強化することである。

運転をするリスクというのが一定程度高まれば、それはやはり運転を継続できないような方策を取るというのは必要だろう。

もう1つは公共交通やタクシー乗車に対する公費補助とライドシェア事業の導入などだろう。

高齢者に限らないが自動車を運転する理由は、個人的な用事である場合は、移動目的というのが大半だ。

もちろん、荷物の運搬やドライブを楽しむとか、自動車の整備のためとかもあるだろうが、大半は何かの用事などで移動するためであり、そうであれば自動車を運転する以外の方法により移動できるのであれば、自動車がなくても困る場面は、それだけ少なくなるわけで自動車の運転から公共交通などへの転換やライドシェアの解禁などは、高齢者事故の解決策になる可能性は高いだろう。

そして、これが本命だと思うのだが高齢運転者に対する衝突被害軽減ブレーキなどの予防安全機能の普及促進である。

高齢者事故というのは認知機能の低下に起因する事故が多いが、一方で車両のスピードということで言えば他の年代に比べれば低く、比較的遅いスピードで走行している。

これに対して予防安全機能については、速度域が遅いほうが効果が高くJNCAPが公開している評価を見ても明らかである。

特に、性能の高い衝突被害軽減ブレーキなどは時速50キロからでも車両でも、歩行者でも停止することができる機能を備えており、これを高齢者に普及させることができれば事故防止には劇的に効果を発揮するだろう。。

また、運転中に病気などが発症した場合などにも、これらの機能は有効であると思われる。

例えば高齢者が自動車を買い替える場合には補助金を出すなども政策としてはあり得るのではないかと思うし、エコカー減税を予防安全機能減税にすることだって国民の命を守るという点で言えば十分にありではないだろうか。

 

それから、もう1つ高齢者事故で気になることが1つある。

これはアクセルとブレーキの踏み間違え事故に関してのことであるのだけれども、これらの事故についてはコンパクトカーや軽自動車が多いというのが気になる。

もちろん、最近は車のダウンサイジングが進んでおり高齢者がそれらの車両を運転していることが多いということはあるだろうけれども、それだけではないのではないかと思う。

というのは、これらの車というのは様々な制約があってドライビングポジションが最適な位置には設定しにくいし、アクセルとブレーキの位置関係も本来の理想からは遠い位置にあることが多い。

今の車はクラッチAT車が大半であるのでペダルはアクセルとブレーキだが、どちらのほうが踏みやすい位置にあるべきかと言えば、それはもちろんブレーキだ。

それぞれのペダルの形を知っている人であれば思い出してもらえればわかるだろうし、もし見る機会があれば見てもらいたいのだけれど、アクセルは細くて、ブレーキは横に広い形状になっているのが普通である。

これはブレーキは踏み間違えると事故に直結するために、幅を広くして少しくらい踏む位置がずれたとしてもブレーキを踏み込むことができるようにするためだ。

しかし、緊急時にブレーキを踏み込むためには、形状以前にブレーキが右足で踏み込みやすい位置にブレーキがなくてはならない。

もし、ブレーキが右足から遠く左に寄っていたら、慌てて踏み込もうと思っても踏むのは難しい。

結果として、そのあたりにあるペダルを踏み込もうとすると、それはアクセルであり車を止めるつもりでいるのに急加速していき、パニックになって、さらにペダルを踏み込むために結果として衝突するまで車は止まることができない。

これが踏み間違い事故の原因として、かなりの部分を占めているはずだ。

もちろん、その踏み間違いが生じる可能性というのは車の中での運転席の場所やアクセル、ブレーキの配置によるし、それはメーカーや車種ごとに違っているが、踏み間違いを起こしやすい車を作っているメーカーもいれば、そうではないメーカーもいる。

上で触れた衝突被害軽減ブレーキも標準装備化して推進を図るメーカーもいれば、そうではないメーカーもいる。

そういう安全思想の違いというのが残念ながら今の日本ではあまり評価されていないというのが現実のように感じる。

と、そんなことを思っていたところで吉報が入ってきた。

アイサイト3だけではなく、歩行者エアバックまでも標準装備としたスバルのインプレッサが今年の日本カーオブザイヤーを獲得したという。

もちろん、安全性だけが評価されたわけではないだろうけれども200万円前後という比較的、自動車としては低価格帯に位置する車両でありながらも、安全に対して極めて高い基準を設けた車が評価されたことは、今後に向けて大きな一歩になることを期待したい。